2012年08月22日
改行なし
吉田篤弘の『木挽町月光夜話』というエッセイ集の中に『改行なし』というのがあって、読んでみると本当に改行がない。ジャック・ケルアックの『路上』がテーマになって書かれているようだが、実は我が書斎の本棚にも『路上』があって、読まれるのを今か今かといつまでも待っている。読んで楽しいのが本なのであるが、背表紙を眺めながら「いつか読んであげるからね」と語りかけるのも楽しいのである。「いつか読んであげるからね」と語りかけられる本が徐々に増えつつあり、さながら病院で順番を待つ患者のようでもある。「いつか診てあげるからね」と言われて、2時間以上待たされたのは実に今日の出来事であった。挙句に他の病院に行けと言われても返す言葉がないのである。病院などめったに行ったことがないので、こんなもんなんだろうなあと納得するしかないのである。幸いなことにこんなブログを書いているので、「ちょっと聞いてよ」みたいなノリで愚痴ってみた。ちょっとすっきりした。ブログを書くときは大抵バーボンを遣りながらなのであるが(もちろん今も)、それだけに後から読み返して「あんなこと書いちゃって」などと後悔する事もしばしばなのである。今書いているこれも、できれば後から読み返したくもない駄文なんだろうと書きながら知っているのである。ケルアックの路上は、紙をテープで留めて作った120フィートの長尺用紙をタイプライターに差し、全く改行せずに125000文字を打ち込んだという。「床にどんどん伸びていく原稿は、まるでロードみたいだった」らしい。いっぺんそんな記事をブログに書いてやろうかとも思ったが、そんなもの誰も読まないだろうからまあやめようと思う。などと言いながらついつい思うままに書いていたら、文字の羅列が黒々とした四角い塊のようになってきた。「これは読みにくいだろうなあ。一体何人の人がここまで読んでくれるのかなあ」などと考えながらも、面白半分でここまで書いてきた。そろそろやめようかなあ。悪ふざけも度を越すと洒落にならないしなあ。洒落にならないといえば・・・。あ、もうやめよう。『路上』そろそろ読んでみようかな。


Posted by kaz at 22:43│Comments(0)
│ちょっと考えること